中島みゆき「ファイト!」 歌詞の意味を考える長文3

これは3ページ目です
まだの人は1ページ目から読んでね(~▽~*)

6. 薄情もんが 田舎の町に あと足で砂ばかける って言われてさ
   出ていくならお前の 身内も住めんようにしちゃる って言われてさ
   うっかり燃やしたことにして やっぱり燃やせんかったこの切符
   あんたに送るけん持っとってよ 滲んだ文字 東京ゆき
の部分に関する考察のつづき
 
d. で、“あんた”って、誰ですか?
 
  率直に私の考えを言えば、“あんた”は男性。
  “私”の恋人(あるいはそれに近い友人、幼馴染とか)だと思います。

  理由はいろいろあるのですが、
  まず考えておきたいポイントがあります。
 
  それは、
    “私”は東京に行けなかった。
    “あんた”は東京に行けた。
  この差についてです。
 
  “私”と“あんた”が似たような境遇・条件なら、
  “あんた”も村ぐるみの妨害にあって、上京を諦めていたはず。
 
  “あんた”が東京に行けたということは、“あんた”が上京することに村人たちは
  特に反対しなかったと考えられます。
 
    村は反対したけど、“あんた”は無理矢理出ていった。
    と、考えることもできますが、
    その場合、“あんた”は身内を捨てたことになります。
    それこそ薄情者であり、そんな相手に“私”も 「(切符を)あんた送るけ
    ん、持
っとってよ」 とは言わないでしょう。
 
    また、ここまで「ファイト!」では理不尽な仕打ちについて歌ってきまし
    た。
    もし『 “あんた”は決断力がすごいから村を出たけど、 “私”は臆病だから
    村に残った 』なんて話になってしまったら、
    それはもう「単に性格の違いですね」という話で、じゃあ「“私”ももう
    ちょっと
頑張りなさいよ」という非常に軽いファイト!になってしまう。
 
    そうではない。
    これが「ファイト!」の歌詞である以上、“私”と“あんた”には、
    「“あんた”は何事もなく村を出られたのに、
     “私”にだけ理不尽な抑圧(住めんようにしちゃる)が襲いかかった」
    と考えるべきでしょう。
 
  ではなぜ“あんた”は村を出ることを責められなかったのか。
  同時に、なぜ“私”だけが村に縛り付けられているのか。
 
  その答えは、この先の歌詞
 
7. あたし男だったらよかったわ 力ずくで男の思うままに
   ならずにすんだかもしれないだけ あたし男に生まれればよかったわ
 
  これが指し示しているのです。
  「ファイト!」の歌詞には主人公の受ける理不尽な暴力について、
  なぜ理不尽なのかがちゃんと書いてあります。
  「中卒だから→仕事もらえない」 「ガキのくせに→頬を打たれる」 です。
 
  しかし「田舎を出ると薄情者」には、明確な理由が書かれていません
  そこで、その後に登場する歌詞である「あたし男だったら――」を付け加える
  と、
 
  「田舎を出ると薄情者と言われる」←「女だから」 と読むことができます。
 
  また逆に「あたし男だったら――」というフレーズ部分だけでは、
  この子がなぜ男になりたがっているのか、女でいてどんな仕打ちを受けたのか
  が、書かれていません。
 
  つまりこの2つのフレーズは、2つで1つ。組み合わせて完成なのです。
 
 
  ――と言いたいところですが、
  実はこの「田舎」と「あたし男だったら――」を組み合わせるのは、かなり
  こじつけ
です(~ー~;)
    なぜなら「田舎」と「あたし男だったら――」の歌詞の間には、サビが
    入って
います。 つまり、「田舎」の話は4番の歌詞、「あたし男――」
    は5番の歌詞。
    ブロックが違うのです。
 
    ですから、実際歌ってみると、
    「田舎」の話をしてサビを歌ってひと段落。
    それから一呼吸置いて、改めて「あたし男だったら」と歌いだします。
 
    逆に、聞いている人からは、
    前触れもなく急に「あたし男だったら良かったわ!」と言い出すので、
    ビックリします。 ここはそういうインパクトのある部分です。
 
  「インパクトを生みだすため敢えてサビで区切った」とも考えられますが、
  また、「敢えて理由を書かず突然歌いだすことで、男の理不尽さ」を表現した
  とも考えられます。
 
  もはやその真意は中島さんに直接聞くしかないでしょう。
 
 

 
……だから私はこう言う。
  どっちでも良いんじゃないか、と。
 
私は、歌は「作り手が何を伝えたいか」も重要ですが、
「聞き手が何を感じたか」も同じくらい重要だと思うんです。
 
むしろ聞き手が何かを感じて、それがその人の心に響いたなら、
仮にそれが作り手の意図や一般の解釈と違っていたとしても、
その人自身にとっては一番感動できる歌の聞き方だと思うんですよ。
 
別に学校のテストじゃないんだから、
正解に関する知識を競っているわけじゃあない。
 
感動は人それぞれの形であって良いと私は思う。
 

 
 
  というわけで、“私”が田舎を出られない理由を“女だから”だったと仮定すると、
  前述のストーリーはこのように展開します。
 
 
  “あんた”と“私”は一緒に東京へ出ようと約束しあう仲だった。
  しかし、二人の住んでいた田舎は封建的なところ。
  “あんた”は男だったので、「立派になって帰ってこい」などと、むしろ激励さ
  れて
田舎を出ていくことができた。 (男性の“出稼ぎ”は良くある話だ)

  一方、“私”は女だったがゆえに反対された。
  当時はやはり「女は家を守るもの」という意識が根強かったためだ。
  女性は親元を離れず、親や地域の年長者たちの手助けをして生活する方が
  親孝行だと思われていた。
  逆に言えば、女性が自分を育ててくれた両親や地域に何の恩返しもせず出てい
  くことは「薄情」と呼ばれ、
  あまつさえ“あんた”と一緒に行くつもりだった事が知られると、「かけおち
  るつ
もりだったのか」と激しく罵られた。
  “私”がどんな気持ちで東京へ行きたいと思っていたのかも聞かず、田舎者たち
  は彼女のことを「ふしだらな女」だと決めつけたのである。


  と、こんな感じならドラマティックに理不尽かな、と(~ー~;)
 
d. なんで切符送ったの?
 
  燃やしたことにして燃やせなかったこの切符
  あんたに送るけん持っとってよ
 
  なぜ“私”は“あんた”に切符を送ったのか?
 
  まず少なくとも“あんた”は“私”にとって特別な相手なことは確かでしょう。
  恋人か親友か、そういった本当の気持ちを打ち明けあえる仲です。
    なぜならこの“あんた”が田舎の村人たちに「“私”のやつ、まだ切符隠し持っ
    てたぞ、うひゃひゃひゃーい」とかチクったりしたら、“私”の人生終わり
    だからです。秘密を共有し合える、強い信頼関係が二人にはあります。
 
  また、このことから“あんた”が既に上京を完了させていることも分かります。
  もしまだ“あんた”が実家(田舎)にいたりすれば、何かの拍子に切符が見つか
  らないとも限りませんから。
    同じ村内で「送る」とも言わないだろうし……。
 
  さらにこれは“私”がまだ上京を諦めていないことの意思表示でもあります。
  「私はまだ諦めてないよ! チャンスが来たら私も今度こそ東京行く。そのと
   きがくるまで私の切符を持っていて!」 という意思表示。
 
  そう、この切符は二人にとって赤い糸なのです。
  “あんた”は東京に出ていき、“私”は田舎に縛られている。
  “私”が諦めてしまえば二人の関係はもう終わりです。
    むしろ“あんた”の方から見れば、一緒に東京に行くつもりだったのに、
    直前になって“私”がドタキャン。
   「うっかり燃やしちゃった(・ω<)てへぺろ」とか言うのです。
    普通ならここで、俺はフラれたんだ、と思います。
    フラれたと思ったからこそ、一人で寂しく東京に行ったんです。
      本当は“私”もこの段階で二人の関係を終わらせるつもりだったんで
      しょう。 東京へ行く彼の足手まといになってはならない、と。
 
  でも諦めきれなかった。彼のことも、東京のことも。
  だから切符を送り、「私はまだ諦めてない。東京への想い、あんたへの想いは
  昔と何も変わってない。だからあんたも私のことを忘れないで」、
  というメッセージを込めたのだ。
 
 
  ――という私の解釈は昼ドラの見過ぎでしょうか?(~ー~;)
 

 
8. ああ 小魚たちの群れきらきらと 海の中の国境を越えてゆく
   諦めという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく
 
魚パート。
これが「ファイト!」最後の歌詞です。
  (このあとサビを歌って終わるという意味)
 
また“海”が出てきました。
「闘いの出場通知を抱きしめて あいつは海になりました」
のところでも謎を残した“海”。
 
魚たちは「冷たい水の中をふるえながらのぼって」いたはずなのに、
今回もやはり“海”に辿り着いてしまいました。
 
普通ならば海は下流(つまり流れに逆らわず落ちて行った先)にあるもののはず。
 
なぜでしょう?
中島さんの世界観では、海は上流にあるのでしょうか?
  じゃあ、下流には何があるんだ、っていうね……(~ー~;)
 
 
しかし魚たちはその海の中で「きらきらと」光り、「国境を越え」、
「諦めという名の鎖を 身をよじってほどいて」います。
もちろんこれは、魚たちが逆境に負けまいと“ファイト!”していることを表しています

そしてこの部分の歌詞からは、
逆に考えれば、“海”の中には、きらきら光る(=鱗がはげる)ような場所があり、
「国境」があり、「諦めという名の鎖」があるというふうにも読み取ることができます。

“海”は、流れに逆らうことをやめ流れ落ちていった先にあるもの、
つまり美しくないけどツラくもない、当たらず障らずの場所だと思っていましたが、
どうやら“海”にも国境や諦めの鎖など苦しいことがあ
  ――おっと、ここまでだ。 この先はまた後ほど話したいと思います(笑


とりあえず、総括してみる

はい、このようにですね、
「ファイト!」は逆境に立ち向かう歌です。
 
それも並の逆境ではありません。
 
理不尽で、それでいてとても強力で、
逆らうだけで身が削げ落ち、むしろ屈服した方が楽なんじゃないか、
多くの人がそうして生きているのだから、その方が正しいんじゃないのか
 
そういう、“どうしようもないほどの逆境”です。
 
 
だからね、えぇ、カロリーメイトのCMでやってるような、
受験生の応援ソングなんてレベルじゃないわけですよw
 
受験は、……こう言ってしまうのも心苦しいですが、自分が頑張れば頑張ったなりの結果がもらえること。
しかし「ファイト!」に歌われている内容のそれは、自分の頑張りとかじゃどうにもならないような話です。
自分が頑張ってどうにかなる程度の問題で、「ファイトさん、僕のこと応援して下さい」なんて言ったら「甘ったれるな。頑張れ」と言われますよw
 
 
むしろ「ファイト!」は、『頑張ろう!』の応援ではなく、
理不尽に対する怒りや悲しみを代弁し、またそれに負けそうになっている人々を怒鳴りつけるような『負けるな!』『挫けるな!』という叱咤激励に近い。
 
さらに言えば「ファイト」は応援の意味よりも、
むしろ本来の意味である 闘え!」 と訳した方が歌詞にしっかりと馴染む気がします。


→つづく