平沢進「確率の丘」 歌詞の意味を考える長文2

未読の方はまずはそちらから読んで下さいね(~▽~*)



6. 移る季節を隠して鳴らす 盲信の魔笛の匠
   理(ことわり)の下吹くべく吹いた風の絵解きにキミを知る

はい、ここから3番の歌詞です。

2番の歌詞では、男は死んだ妻を取り戻そうと死の世界に挑み、
しかしそれも叶わず、一人寂しく生の世界へと帰ってきました。
きっと今、男はこの世界にただただ虚しさしか感じていないのでしょう。

移る季節を隠して
時が経ち、季節が移り変わっていきますが、
それを「隠して」いるということは、男が季節の移り変わりにも気付かないほど絶望しているか、
あるいは時が経ち、彼女が“過去のもの”になっていくのを認めたくなくて、
気を紛らわせるために笛をかき鳴らしている、――というような情景かもしれません。

盲信の魔笛の匠
魔笛」といえば、モーツァルト作曲のオペラ『魔笛』ですね!

オペラ魔笛も、男が愛する女性を探し求める話です。(女性は死者ではありませんが)
オペラ魔笛で、主人公は夜の女王から“魔法の笛”を授かります。
どんな魔法が込められているのかは名言されていないのですが、ストーリー的に見るとこの笛を吹くシーンでは必ず“愛する女性が主人公の前に現れます”。
  魔法というよりも、運命に導かれるように二人が出会う。
  そういう時に吹かれる笛です。

つまり、「盲信の魔笛の匠」とは、
叶うはずのない彼女との再会をひたすら信じている男の姿なのではないでしょうか。

  前回の記事で、男のモデルはギリシャ神話のオルフェウスではないかと言いましたね。
  オルフェウスは“音楽の名手”
  ――と言ってもオルフェウスが得意としたのは琴なのですがw
  まぁ、楽器繋がりということで、魔笛の主人公とオルフェウスを重ね合わせた表現だと読み取る
  ことができます

そして、はい、これです。
理(ことわり)の下吹くべく吹いた風の絵解きにキミを知る

理の下、吹くべく吹いた風。
理(ことわり)というのは、ルールどおりというか、それが普通というか、
無理やり何かに逆らって起こったものではない、ということですね。

つまり、それはごく普通の風、当たり前の風、自然な風です。


そう、そして思い出して下さい。
この歌では既に一度、風が吹くシーンが現れています。

それは1番最初の歌詞、
吹き飛ばされる枯葉の舞に 空一群の星は沸く
 なお幾万の風さえを分け 着地の時を見逃すまいと」 です。

そう、彼女と出会う直前の、あのワンシーンです。


つまり、この3番の歌詞は1番の歌詞と同じ情景なのですね。

理の下、吹くべく吹いた風」に「キミを知る

男はふと吹いた風に、彼女の存在を感じたわけです。



7. 不意に聞くキミの歌 星の名を変え
   丘に咲く花々が懐かしく揺れる

これも1番の歌詞との対比関係。重ね合わせですね (~▽~*)

風の中に彼女の気配を感じたことで、
男は再び、星の美しさや花々の香りを思い出します

懐かしく揺れる」という表現が良いですね。
絶望にさいなまれていた男の心の中に、幸福だったころの気持ちが“自然と呼び起こされた”という感じがします。
こう、何かに刺激されて思い出したとか、無理やり思い出したという加速度的な思い出し方ではなく、
自然とふわっと包み出てきたような優しい感じがあります。


また、ここで地味に重要なのが「不意に聞くキミの歌」です。

そう、「」だけなんです。
姿は見えません。触れません。

さらに言えば、この「」とは「吹くべく吹いた風」のことです。
風が吹いてふとキミのことを思い出した。それを「歌が聞こえた」と表現しているだけで、
実際に声が聞こえてきたわけではありません。

そしてこの「不意に」です。
2番の歌詞では「努々思いもせぬ」と、男はむしろ彼女のことを考えないようにし、それでもなお思い出される彼女の姿に苦しんでいました。

しかしこの場面では、「不意に」思い出されたことで男は幸福を思い出しています。

忘れたいと願い、願うからこそ、忘れられず苦しみ、だからこそまた忘れたいと願う。
そういう負の連鎖。
逃れたい、逃れたいと思うほど男の心は暗く沈んでいたはずなのに、

そういう負の連鎖とは別次元からくる「不意な風」によって、
あまりにもあっけなく、ぽんっと男はその束縛から解き放たれ、自由になったのです。

なんでしょう。
男(人間)1人が足掻くことの無意味さ、無力さを感じると共に
人智を超えた何か大きなパワーの圧倒的生命力を感じます。(あふれ出す仏教感w)



8. 瞬きよ崇高に 時の意味を変えて
   絵空よと消えかけた街の門を開け

さて、いよいよ最後のサビ。 グランドフィナーレですw

瞬きよ崇高に 時の意味を変えて
先ほどまで男は季節の移ろいを拒んでいました。
時間が進むのを恐れていたのです。

しかし、男はもうそれを恐れません。
「瞬き」 つまり、その一瞬一瞬の“今”を積み重ねて時間が進んでいくことは偉大で崇高なことである、と男は前を向き始めました。

絵空よと消えかけた街の門を開け
絵空、つまり“幻”ですね。
彼女を失ったことで男はもう自分にはもうどんな幸福も来ない、どんな幸福も幻だと、自分で自分の未来を閉ざしてしまいました。
その閉ざされた未来への門を再び開けるときが来たと、ここでは歌っています。
  「街」は賑わいや活力のイメージでしょう。
  あるいは様々な人々との“繋がり”をも意味するのかもしれません。



9. 口笛よ驚異たれ 水を空に帰し
   新しき雨と化しキミを讃え降れ

はい、「口笛」です。
口笛がこの歌に出てくるのはこれが2度目ですね。
  つまりここも対比関係です。

1度目の口笛では、
男は奇跡を起こし、海をかち割ろうとしました。
  なんてムチャクチャするんでしょうかw
しかも最終的に計画は失敗しました。
  アホです。なんてアグレッシブなアホなんでしょうかw

しかし、この2度目の口笛では、
水が蒸発し、雨になって降る”という、ごくごく当たり前の自然の理(ことわり)が歌われます。
もちろん、これは男の口笛によって雨が降っているわけではなく、本当に何の変哲もないただの雨でしょう。

  また、さらに言えば、この雨によって丘に“水が降る”ことは、
  1度目の口笛のあと、男が丘に“火の楔”を打ち込んだシーンとの対比でもあります。

  口笛で丘に火を打ち込み失敗した男が、
  今は丘に降る水を口笛を吹きながら安らかな気持ちで見ている、というわけです。
  
そしてその“当たり前の雨”を「驚異」だと男は感じているのです。

自分が奇跡を起こして海をかち割ろうとしたことよりも、
ただ当たり前に雨が降ることの方が遥かに驚くべきこと、

つまり人が起こす奇跡よりも、
自然の摂理の方が偉大だと男は感じたのです。


総括してみる

愛する人と出会い、失い、そして立ち直る物語。

そして最終的には「自然スゲーぜ! マジ偉大! マジ驚愕!」で終わります (待てw


つまり、この歌には2つのテーマがあります。
人間の愛と幸福、
そして自然の雄大さ、ですね。


人間というのは人との繋がりで幸福にもなるし、絶望を味わいもする。
愚かにも奇跡に縋ろうとするし、些細なことで救われることもある。

そういう、人間の小ささ、移ろいやすさ、大地に根を持たない漂泊感を感じます。

でもその、些細なことで幸せになったり、絶望したりすることが、
人間自身にとってはとても重要で大切なことなのです。


その一方、自然の雄大さですよ。

この歌では、主人公が幸福に出会ったり、不幸に見舞われたりするたびに、
星が輝きを失ったり、花が消えたりします。

ですが、本当にそうでしょうか?
大自然が、たかが人間の感情に左右されて星や花が消えたりなどするものでしょうか?

いいえ、そんなことはありません。
花も星もずっとそこにあったはずなのです。

ただ、人間の方が勝手に幸福なときには花や星を見て美しいと言い、
絶望した時には美しいものから目を背け、見えなくなっているだけなのです。

  これは1番の歌詞と3番の歌詞の対比にも表れています。

  1番の歌詞では、風が吹き、星が沸き、花が香りを変えます。

  3番でも風が吹き、星と花は懐かしく揺れます。
  懐かしいということは、このときの星と花(ついでに風)は1番の時と同じ
  情景
のはずなのです。

  しかし、3番で吹いた風は「理の下 吹くべく吹いた風」、つまりごく普通の
  風
でした。
  つまり、1番の時に吹いた風も、実はごく普通の風です。
  (同じ風だからこそ、男はその風の中に懐かしさをもって彼女のことを
   思い出し
たのです)

  1番のときは「これから何か起こるんじゃないか」という運命を感じさせる、
  ざわざわとした雰囲気の風に思えましたが、
  実は普通の風なんです。

運命だとか予感だとか、
幸福だとか絶望だとか、
そんなことは人間の側が勝手にそう言っているだけで、自然は何の変わりもなくずっとそこにあるのだということなんですね。


そしてさらに言えば、
その風の中に彼女を感じ、幸福を思い出せるということは、

生と死を分け、幸福と絶望を分けて考えているのも、
人間の勝手な心、人間の愚かさなのです。

  男は死を乗り越えようと、様々な努力をしました。
  しかし、その挑戦が上手くいくことはなく、男はより一層生と死の狭間の深さ
  を知って絶望するのです。

  それなのに、たった一つの風が、男の心の中にある愛を思い出させ、
  男を癒します。

  そう、「生」と「死」の間に狭間があると思うからそれを乗り越えようとして
  人間は勝手に苦しんでいるだけで、
  そんな狭間なんて無い。生と死は分けられないんだと気づけば、
  風の中にさえ彼女の生を感じることもできたりする。

  つまり、「生」と「死」が分かれていない世界。
  一体化した世界。
  それは完璧な、完全な、黄金の世界。 『黄金の咲く丘』 なのです



この曲のタイトルは 「確率の丘 ~probavirity hill~」です。

確率というのは、
アタリを得て、ハズレを捨てる ということです。

つまり、コインで言えば、“表のみ”“裏のみ”という、
「どちらか一方だけ」なんですね。

とても不自然なことです。


だから、「確率の丘」

両方必要。

両方ともあるから完璧なんだ。

両方だから美しいんだ。


都合の良いものだけを選ぼうとする人間は愚かで、
(だからこそ人間らしいのだけど)

すべての確率(可能性)を分け隔てなく内在させる自然こそ真の雄大

そしてその自然の優しさに気付けたとき、人はほんの少しだけ安らげる。


それが
『 確率の丘 』